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日本におけるタバコ広告の歴史

江戸時代の広告
日本では江戸時代より、軒下にかける看板等が利用されていたが、幕末に銀座でたばこ屋を開いた信濃屋文蔵は刻みタバコを桐の箱に入れて販売、これに山東京伝の宣伝文句、人気役者の市川団十郎に舞台で宣伝を行わせ、さらに、団十郎が箱を持った姿の浮世絵に山東京伝の宣伝文句を入れてこれを販売、これはタレントを用いた初めての宣伝であるとされている。ただし、1715年(正徳5年)には2代目市川団十郎は、呉服店「寿の字越後屋」の「寿」の字を編み笠に入れて舞台出演を行い、1718年(享保3年)には薬売りである外郎売の宣伝文句を台詞として舞台で読み上げているなど、タレントによる広告活動が存在しなかったわけではない。


明治民営煙草時代の広告
明治以降、それまでの手工業から機械工業へと移行したことにより、生産力が高まり近代的な会社形態をとり始めたこころより宣伝広告も多く出始める。特に明治時代の『天狗煙草』の岩谷商会(岩谷松平)と、輸入した原料を元に『ヒーロー』などの外来語を商品名にした村井兄弟商会(村井吉兵衛)による宣伝合戦は明治36年の第5回内国勧業博覧会会場での宣伝活動、銀座界隈でパレードを行うなど熾烈なものであった。

薩摩出身の岩谷は「東洋煙草大王」「広告の親玉」を名乗り、地元の大名島津家の家紋「くつわ十字」を利用したシンボルマークや、赤色にこだわりを見せ、ポスター、パッケージなどに赤色を使用したデザインや、当時では珍しい女性のセミヌードを描いたポスター、また国益や社会益になっていることを強調したキャッチコピー(『驚く勿れ税金たったの五十万円、慈善職工三万人』、『国益の親玉』など)で派手な宣伝を行ったのに対し、渡米経験のある村井は西洋のハイカラを追求した戦略(たばこにおまけとして挿入された女性のカード、星条旗のような柄の提灯など)で対抗した。この時、カラー印刷等が使用されたが、岩谷商会が組んだ凸版印刷合資会社は後に凸版印刷、村井兄弟商会が設立した東洋印刷株式会社は後にJT京都印刷工場とそれぞれ変遷を経ている。そして、村井・東洋印刷、岩谷・凸版印刷から生じたこの流れは西洋風、和風のデザインを生む原動力と化することとなる。また後の電通の前身企業「日本広告」の創業者である光永星郎はパレードをする岩谷に声をかけられたことが、広告を重視するきっかけになったとしている。

また、千葉商店(千葉松兵衛)は自社が扱う商品を販売してくれる小売店に対し、小売店名の入った看板を作成、その他、愛知の原田万久店や亀山の伊勢煙草株式会社など全国に5,000社以上点在する他のタバコ会社も様々な宣伝活動を行っていた。その後、明治37年『煙草専売法』が施行され、たばこが専売となるとこの宣伝合戦は終了した。


『ウィキペディア(Wikipedia)』引用
タバコ広告の歴史って意外と古いのですね。今では 広告規制が出ている国もあります。

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2009年9月16日 16:31に投稿されたエントリーのページです。

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